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大仏寺・洋人街


【梅園】


名前からすると梅の木が沢山植えられている庭園のようなイメージですが、梅園という名前は人名から来ています。

梅園は、中米特殊技術合作所の主任であった戴笠氏が、米国から招かれた同合作所副主任の米国海軍少将Milton E.Miles氏の別荘として1945年に建築したものです。

Miles氏の中国語表記が「梅楽斯」であったことから、この建物を梅園と呼ぶようになりました。尚、実際に梅の木も植えられたそうです。

1956年に四川省重点文物保護単位、1988年には国務院全国重点文物保護単位に指定されています。

<Milton E.Miles>

1900年生れ、1922年米国海軍学校を卒業後、海軍に入隊。
1922年〜1927年、1936年〜1939年に中国駐留部隊に所属。
1942年に米国海軍駐中国顧問チームリーダー兼中国大使館オブザーバーとして再度中国に駐在、同年9月には米国戦略情報局極東協調主任、海軍准将に昇進、同年12月には中米合作所成立により同副主任(副所長)に就任。
その後、援国民党・反共産党を基本姿勢としてスティルウェルへの反対活動に身を投じるも、国民党敗北により帰国。1958年に海軍中将まで昇進後、1961年没。

<中米特殊技術合作所>

第二次世界大戦時に中国と米国が対日戦略を目的に共同設立した情報機関。英語名は「Sino-American Special Technical Cooperative Organization」、略称はSACO。
1943年に米中間にて「中米特殊技術合作協定」を締結、同合作所を歌楽山裾に設置し、中国は米国から軍事・経済面の支援を、米国は中国から気象・地理情報等の提供を受ける。
当初は対日戦争で相互に協力するも、やがて中米双方の内部において国民党派と共産党派の対立が生じたことから1945年には解散。


【梅園への行き方】

白公館にてバスを下車、その後徒歩10分程度で到着しますが、ほぼ登り坂、表通りから梅園へは急な階段が続きますので、ご注意ください。
尚、週末になりますと大変な渋滞となります。その場合は磁器口から渣滓洞への裏ルートがお勧めです。
(詳しくは渣滓洞のページをご参照)


(2014年8月)