大仏寺・洋人街


通遠門は、軽軌1号線若しくはバス停「七星崗」で下車すると目の前にあります。

中山一路を車で走っているときに、注意深く外を眺めて頂くと、妙な銅像(本頁の下に写真あり)が並んでいる壁が見えるかと思いますが、そこが通遠門です。

かつて、重慶城には「九開八閉」と呼ばれる以下17の門がありました。

<長江沿10門>
(長江・嘉陵江合流点から順に)朝天門、翠微門、東水門、太安門、太平門、人和門、儲奇門、金紫門、鳳凰門、南紀門

<陸地内3門>
(北から順に)金湯門、通遠門、定遠門

<嘉陵江沿4門>
(長江・嘉陵江合流点から順に)西水門、千斯門、洪崖門、臨江門

これら17の門のうち9つの水門が通常開いていたことから「九開」、残りの8つの門は状況によって開け閉めしていたので「八閉」、併せて「九開八閉」と呼ばれるようになったようです。

現在でも地名だけは、朝天門、臨江門、洪崖洞、といった形で残っていますが、実際に門として残っているのは、湖広会館の近くにある東水門と、この通遠門の2つのみです。

尚、朝天門にも遊覧船乗り場へ向かうところに門が建っていますが、あの門は比較的新しく、歴史遺産では無いそうです。

通遠門の建設が開始されたのは南宋末期、蒙古軍の攻撃に備えた頃です。

その後、明洪武4年(1371年)に原型が出来、清初期には概ね現在の通遠門になったと言われています。

1929年に都市化を目的として国民党政府が重慶城の城壁を破壊しましたが、非常に幸いなことに通遠門とその周辺だけは僅かに後世に残ることとなりました。

現在では全体が公園となっており、城壁上には上写真のように当時を彷彿させるオブジェが展示されています(但し実際の遺物ではありません)。

通遠門を遠景撮影したものです。
結構な高さがあり、門自体もしっかりとした作りになっています。
一方で、人が通る部分の幅は車がやっと1台通れる程度と、中国の城壁門としては可也小さい感じがします。
中山路側にある銅像です。
手前が攻めてきたモンゴル軍、そして城壁の上には南宋軍の守備隊が岩を落とそうとしている様子が再現されています。
中山路側からみるとかなりしっかりとした城壁であることが判ります。
現在はところどころにお店があったりと、かつての城壁の面影はやや薄れてしまっているのが残念です。


(2012年7月)