【烈士陵園の歩き方】
烈士陵園へは、菜園覇駅・牛角沱から白公館行の210番バスで行くことが出来ます。
一番手前にある紅岩魂陳列館へは「西南政法大学」、白公館から先へは終点の「白公館」が最寄りのバス停となります。「西南政法大学」から「白公館」へは徒歩で20分程度、途中には見所の一つである狼犬室もありますので、お時間がある方は、歩いてみるのも良いかと思います。
白公館から先は見所を回る観光用のバスも走っていますが、それでも基本的には多くの階段を上り下りする必要があり、それなりに体力が必要です。
烈士陵園は非常に広く、全てをじっくり見て回ろうとすると1日掛りの山登りトレッキングのようなことになってしまいますので、複数回に分けて見学をされても良いかもしれません。
尚、白公館から少し山を下ったところには歌楽山ケーブルカーもあり、これに乗れば歌楽山の山頂へ行くことが出来ます。
【紅岩魂陳列館】
元々は「中美合作所」の閲兵台であった場所に1963年に建てられたもので、当初は「重慶中美合作所集中営美蒋罪行展覧館」という名称でしたが、1999年に現在の「紅岩魂陳列館」に変更されました。
革命関連の展示があるそうですが、筆者はまだ中に入ったことはありません。
<用語解説:中美合作所>
正式名称は「中美特殊技術合作所」。第二次世界大戦時に中国と米国(「美」は中国語で米国の略称)が協力して設立した対日戦線情報機関。
<用語解説:紅岩魂>
国民党に迫害された共産党の不屈の闘争精神を「紅岩魂」と呼称。
【狼犬室】
中美合作所成立後、重慶には各種研修施設が作られました。特殊警察の訓練もそうした研修の一部として組み込まれていました。
この場所は、特殊警察が管理する警察犬の訓練養成所として建設されたもので、25室ある犬舎に最大で100頭余りの警察犬が訓練を受けていたとのことです。
【白公館】
白公館は、元々四川軍閥であった白駒の別荘として建てられた建築で、白居易の号から「香山別荘」と呼ばれていました。
その後、1939年10月に軍によって看守所となり、1943年には中美合作所第三招待所となりました。
終戦後はこの地に多くの地下共産党員が収容され、1949年11月27、この地で30人余りの人々が国民党によって虐殺されたとのことです。
1956年には省級重点保護文物、1988年には全国重点保護文物に指定されています。
奥の方には、戦時中に防空壕として掘られ、終戦後は取調室として使用されたという洞窟があります。
洞窟内には、左写真のようにかなり恐ろしげな感じの机とベッドが展示されていました。
【戴笠警衛室】
所謂「烈士」と呼ばれている人たちの中で恐らく最年少であろうと言われている「宋振中」という8歳の女の子が、その両親とともに国民党に虐殺された場所です。
宋振中は貴州の「リトル・ラディッシュ」と呼ばれているそうです。
【戴笠会客室】
1949年9月6日、特務機関がこの場所で楊虎城将軍とその子を殺害した場所とのことです。
<用語解説:楊虎城将軍>
1893年陝西省生まれ、辛亥革命に参加した後、陝西護国軍、陝西陸軍等に所属。西安事変にて辞職、その後拘禁され、1949年、当地にて56歳にて没す。
(2013年5月)
|