大仏寺・洋人街


【走馬古鎮への行き方】

走馬は重慶市中心部から西に約30km、九龍坡区の西の外れに位置しています。

成都や大足へと伸びる渝昆高速と、南北に走る成渝互通の交差する場所の近くにありますので、重慶市中心部から西方向へと高速道路を走ったことがある方は、「走馬」という高速道路の看板にご記憶があるかもしれません。

筆者は通常は出来るだけ路線バスで移動するのですが、走馬古鎮は地図で事前に調べたところ、路線バスも決して便利そうではなかった為、往路はタクシーで向かいました。

運転手に「走馬古鎮」と告げたのですが、「知らない」とのこと。用意しておいた地図などを見せつつ運転手が携帯電話で他の運転手に聞いて、やっと行ってくれることになりました。

市中心部からメーターを倒して70元台だったのですが、運転手からは「遠いので往復分で倍」と、出来上がりとしては相当にお高い値段です。

右上写真が走馬古鎮の入口です。
右の小道を進むと左写真のように歴史風に整備された雰囲気の良い通りとなっています。その先に、走馬古鎮の入口(右下写真)があります。

復路は、往路で乗ってきたタクシーを帰してしまっているので、路線バスで戻らなくてはならなかったのですが、右上の走馬古鎮入口のすぐ前に、路線番号の無いミニバスが白市駅鎮まで出ていました。走馬から白市駅鎮まで約20分、0.5元です。

白市駅鎮まで出れば、市中心部へ向かう路線バスや白タクが多数ありますので、帰宅には困らないかと思います。

とはいえ、走馬古鎮は率直に言って交通が便利とは言い難い為、ある程度中国慣れされている方か、バックパッカーをされている方以外は、車をチャーターされることをお薦めします。


【走馬古鎮】

走馬古鎮は、古くは宋代から発展が始まったと言われている、重慶近郊の非常に古い村の一つです。
地形が走る馬のような形だったことから、この名前になったとも言われています。

元々は重慶から成都方向へ向かう成渝古道を進むと、重慶城を徒歩で出発して1日目に宿泊する宿場町だったそうで、現在の街並みもどことなく宿場町風を感じさせます。

また西は璧山、南は江津に接する境界線に位置していたことから、「一脚踏三県」、つまり一歩で3つの県を踏むことが出来る、とも言われています。

古鎮の入口を入ると左手に「関武廟戯楼」という舞台建築があります(左写真)。
明代中葉に建築され、現存のものは清代に修築されたものだそうです。

特徴的なのは、上下二層構造になっている点で、上部は舞台、下部は食堂のような形の造りになっています。

古鎮の中へは、右写真のような建物の下を抜けて入っていきます(写真はクリックすると拡大します)。
この入口から奥を見通す風景は、いかにも古鎮らしい風情が感じられます。

中に入ると、左写真のような石畳を挟んだ木造建築の古い街並みが現れます(写真はクリックすると拡大します)。

全く観光地化されておらず、土産物屋などは無し、古い建築はそのまま今でも普通の住居や近所の人たちの為の商店となっています。また他の古鎮とは異なり、走馬古鎮は街道宿場町だった為か、この一本の道沿いにのみ、建物が立ち並んでいます。

ところで、走馬古鎮を一躍有名にしているのは「走馬故事」と言われているものです。

古くからの宿場町である走馬にて、様々な場所から来た多くの人たちが足を休めた為か、古い伝承が数多く口伝えで残されています。

その為、走馬鎮は1990年に重慶市文化局より「民間文学の郷」と命名され、1992年には「中国民間故事村」に、1998年にはユネスコ並びに中国民間文芸家協会より、魏顕徳氏に対して、「中国民間故事家」の称号が付与されました。

また「走馬民間故事」は、2007年には国務院より最初の「国家級非物質文化遺産」に登録され、2008年には国務院から第4期「歴史文化名鎮」にも登録されています。

走馬古鎮は色々な指定を受けている割には、実際には殆ど整備されていません。
所々の建物に、建築年代や当時の用途などが書かれているのみです。

従いまして、磁器口のような古鎮を期待されて行かれるとがっかりされるかもしれませんが、一方で商業化されていない、素朴な、本当の古い中国の村を見たい方にとっては、一見の価値はあるかとも思います。


道路沿いを注意深く観察してながら歩いてみますと、古いものがまだまだ現役で使われている様子が伺えます。

下左写真は石畳の脇にあった排水口です。詰まってしまったらどうやって掃除するのだろうか、という疑問はありますが、普通に使われていました。
下右写真は臼のようですが、どうやって使うのかはよく判りませんでした。
      

(2013年2月)