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大仏寺・洋人街


【周君記火鍋食品工業園】

周君記と言えば、重慶在住の方ならスーパーやお土産物屋で必ず目にされたことがあるであろう、火鍋の素(中国語では「火鍋底料」)で最も有名な銘柄の一つです。

実はこのメーカーさんは工場を対外開放しており、一般の人でも見学することが出来ます。

場所は華岩山寺の近くですが、公共交通機関で向かう場合は地下鉄2号線「楊家坪」で下車、426・428・478・486番バスなどで10番目程度の停留所「双山電站」で下車すると徒歩5分程度で到着します。

<周君記ホームページ>
http://www.zhoujunji.com/index.aspx

バス停を降りて、その先にあるロータリーを右に曲がると、赤唐辛子のオブジェが目印の工場が見えてきます(左写真)。然し見学者はここからではなく、正面入り口右手に50mほど進んだ2号門から入ります。

尚、入口に守衛がいますが、無視して中に入っていって構いません。

通常は団体ツアーしか来ないらしく、筆者が守衛所で「個人なのだが見学したいから入って良いか」と聞いたところ、却って不審な目で見られました。

入口を入ると右手に「ツーリストセンター(遊客中心)」という建物がありますが、実際には工場の事務所棟として使われていますので、観光客は左手に進むと、右上写真のような火鍋を囲む家族(?)を配置した噴水のある小さな広場があり、そこを右折すると「遊客中心」という看板のある入口が観光見学の受付になっています。

但し、ここも基本的には団体以外の見学は珍しいらしく、「個人だが見学出来るか?何か登録が必要か?」と受付の職員に聞いたものの、見学は自由、説明を聞きたいならば団体が来たらくっついて行け、と適当な対応だったので、受付は特に何もせず中に入って良いようでした。

受付正面の階段を上って2階に上がると、先ずはこの会社の簡単な概略説明があり、続いて火鍋の材料に関する説明展示が行われています。

右上写真は唐辛子の展示ですが、一口に唐辛子と言っても非常に多くの種類があり、其々に特徴が異なることが判ります。

重慶料理の味の代表である山椒も、赤山椒・青山椒、其々の違いが説明付で展示されていました。

その先は長い廊下になっており、ガラス越しに工場見学が出来るエリアになっています。

左写真は各種材料を大きな窯に入れて混ぜ合わせる工程です。

右写真は混ぜ合わされたものがパッキングされていいく様子です。

工場エリアを過ぎて階段を1階へと降りると、「火鍋館」というレストランがあります。

食事は普通の料理とセルフサービス式火鍋の2種類から選べますが、ここは火鍋工場、矢張り火鍋をトライしたいところです(68元・ビール・ソフトドリンク飲み放題付)。

一人火鍋形式なので、少人数でも気楽に食べることが出来ます。また鍋も辛い赤と淡白な白を選べます。但し観光客向けなのか、赤もあまり辛くありませんので、重慶に慣れている方は、店員に頼んで辛味を追加して貰うと良いと思います。

レストランを出て隣の工場棟に進むと、ここには長い廊下に火鍋の歴史や文化が展示されています。

以下には簡単にその展示内容についてご紹介します。

<重慶火鍋発展史>

重慶は古来より長江上流で嘉陵江とも交わる交通の要衝でしたが、特に清代末期〜中華民国初期には非常に多くの大小の埠頭が建設され、西南エリアと長江下流域が交叉する場所として、中国各地から人や物が集まる場所となっていました。

そんな中で色々な文化を取り入れつつ、重慶料理は四川料理からも徐々に独自の路線を歩み始め、やがて重慶料理は「煮」(つまり鍋)の文化へと発展していくことになります(左写真は初期の非常にシンプルな煮るだけの鍋の時代の重慶火鍋)。

四川省エリアの風習を記録した『風土什志』によれば、もともと重慶の北岸エリアには水牛毛肚(水牛の胃袋)を鍋で食べる風習があり、やがてそれが広まって色々な食材を多くの人と突きあう現在の火鍋文化に発展していったと言われています。

中国各地には夫々の街を代表する各地料理が存在しますが、その中でも重慶火鍋は、火鍋=重慶、重慶=火鍋、と言われるほどになっており、これほどまでに特定の一つの料理に強く固執しているのは恐らく重慶だけではないかと思います。

重慶料理ですが、然し当初の火鍋は上述の経緯から「毛肚火鍋」、つまり牛の胃袋(せんまい)を中心とした内臓煮込みが中心でした。

然しその後、重慶火鍋を飛躍的に発展させたのは皮肉にも抗日戦争でした。

当時、重慶は臨時首都として北京他から多くの人々が集まったことで、火鍋のバリエーションや具材も大幅に多様化していくことになり、また著名な火鍋店もこのころに次々とオープンしていきます(右上写真は毛沢東と蒋介石が重慶で火鍋を食べている様子の絵)。このころ、重慶に移ってきた国民党政府とともに多くの北の鍋文化も重慶に持ち込まれて来たのであろうと思われます。

その後、戦後の混乱期、大躍進・文革などの時代には食にお金を掛ける余裕は無くなり、一旦は重慶火鍋文化の発展も停滞しますが、1970年代後半から80年代に入ると、火鍋文化も再び再興期を迎えます。

この時代に登場したのが、テーブルの下にコンロを置き、鍋をテーブルに埋め込む式の火鍋専用テーブルです(左写真)。

かつては他地域同様、テーブルの上にコンロと鍋を置いていましたが、この穴あき火鍋専用テーブルの登場により、従来以上に火鍋は大勢で囲んで会話を楽しみながら食べられる料理に変貌しました。

その後、1990年代から重慶火鍋は料理として洗練されていき、2000年代に入ると重慶のローカル食から、中国各地に「本場重慶○○」と看板を掲げた激辛料理店が増えていくことになります。


(2015年3月)