大仏寺・洋人街


渝中区にある中山四路は、重慶市政府・党委員会ビルがあるなど、現在の重慶市の政治の中心部となっています。

中山四路が政治的な中心地となったのは、かつてこの地で毛沢東と蒋介石の会談が行われるなど、歴史的に政治上の重要な場所だったことによります。

現在でも国民党・共産党の歴史的見所が複数残っていますので、重慶市内での歴史散策には最適な場所の一つです。所要時間は、政治史に余程強い興味が無い限り、全てゆっくり見ても2時間程度あれば十分だと思います。

尚、最近、重慶市内には抗日戦争から新中国成立期に関連する歴史観光スポットに左上のような、(写真では判り難いですが)中国語・英語・日本語・ハングルが併記された看板が設置され始めています。


【中国民主党派歴史陳列館】

最初に中山四路の西端からご紹介します。

「中国民主党派歴史陳列館」は、「上清寺」のロータリーのすぐ目の前にある非常に大きな建物です。
尚、上清寺という地名の通り、かつては明朝時代に創建されたお寺がありましたが、1927年に廃寺となっています。

外観は右上写真のように歴史建築のように見えますが、実際には新しい近代建築で、2011年3月にリニューアルオープンされたものです。

「中国民主党派」という言葉は日本人には馴染みが薄いですが、かつて革命統一戦線に参加した中国各民主党派の総称です。

具体的には、中国国民党革命委員会、中国民主同盟、中国民主建国会、中国民主促進会、中国農工民主党、中国到公党、九三学社、台湾民主自治同盟から成っています。

この陳列館では、こうした民主党派の幹部紹介と、その活動内容についてのパネル展示が1階から4階まで並んでいます。

また2階には右上写真のように当時の建物を復元した展示コーナーもあります(私が訪れた時点では改装中で1部のみ開放されていました)。


【桂園】

上清寺ロータリーを中山四路沿いに進むと、5分程度で左手に「桂園」が見えてきます。入口は右写真のように非常に判り難いので注意して歩かないと見逃してしまいそうな建物です。

1977年から対外開放が始まった「桂園」ですが、元々は国民政府軍事委員会政治部長の家で、邸宅内に桂の花が植えられていたことから、この名で呼ばれるようになったそうです。

「桂園」を一躍有名にしたのは、1945年8月〜10月にかけて重慶を訪れた毛沢東が所謂「重慶談判」を行った際、ここを事務所や会見場所として使用していたことによります(左下写真は毛沢東が使用していた部屋)。

毛沢東はこの桂園で、蒋介石とも数回にわたり会談を行なっています。

ここを舞台とした政治劇のクライマックスは、1945年10月10日に行われた共産党と国民政府の会談です。

中国共産党側の代表として周恩来が出席し、国民政府との間で『政府と中共代表の会談紀要』が締結されました。

10月10日に締結されたことから通称「双十協定」と呼ばれているこの会談では、共産党と国民党が対立している局面を終結させ、戦後中国に民主的な政権を樹立させることの合意が行われました。

「双十協定」には
・ 平和的な建国の基本方針
・ 対話による紛争解決
・ 三民主義の徹底
・ 新憲法の制定
といったことが謳われていましたが、結局、双方の抜本的な違いが埋まることはなく、その後、国共内戦は更に火花を散らせていくこととなります。


【戴笠公館】

「桂園」を出て中山四路を更に進むと左手に「巴渝文化会館」という看板が出ていますが、中に入りますと、「戴笠公館」があります。

この場所には特に説明プレートなども無かったのですが、「戴笠」とは、国民党の秘密テロ・スパイ組織「藍衣社」の首領だった人物の名前であることから、恐らく戴笠が当時使用していた館なのだと思われます。

現在は文化会館となっている為、(建物の中には入らず外から眺めた限りでは)特段の展示なども無いように見えました。


【周公館】

更に中山四路を進むと右写真のような小さめの広場に行き当たります。

「周公館」の「周」とは「周恩来」のことで、広場の中心に建っている銅像も言うまでも無く周恩来です。

この建物の正式名称は「曽家岩50号」ですが、1938年に共産党が重慶に拠点を設置して以降、周恩来がこの建物を借り上げ、中国共産党南方局の執務室として使用したことから、その後は「周公館」と呼ばれるようになりました。

因みに「周公館」の隣には国民党警察局の派出所が設置されていたそうで、上述の国民党の秘密テロ・スパイ組織「戴笠公館」とともに、この公館は国民党の厳しい監視下にあったものと思われます。

建物は3階建で、中は非常に細かく複雑に部屋割りされています。

2階と3階には、董必武・葉剣英といった幹部の執務室や、共産党の出張者が滞在する場所などが所狭しと配置されています。
1945年8月に毛沢東が重慶を訪れた際にも、この建物の中で多くの人々と接見しました。

左写真は3階の様子です。
屋根の斜めの部分がそのまま天井になっているため、やや歩き難かったですが、内部は大変によく保存されており、70年以上前の雰囲気が今でも伝わってくるようでした。


(2012年9月)