【重慶抗戦遺址博物館の歩き方】
重慶抗戦遺址博物館は、重慶市中心部の南岸区にある南山山中にあります。南山植物園に向かう山道の途中ですので、植物園のついでに立ち寄っても良いかもしれません。
南岸区の商業街である南坪バスターミナルより南山植物園行の384番にて終点の1つ前の「黄山」バス停で下車すると目の前に博物館の看板が見えますので、迷うことは無いと思います。
看板に従って小道に入るとすぐ目の前が博物館のゲートです(右写真)。
ゲート右のチケット売り場でチケットを購入して中に入りますが、園内に入場後、各建物に入る際に再度チケット確認がありますので大切に保管しておいて下さい。
尚、車で来られた場合は、ゲートから中に入った奥の方に駐車場があります。
入場料:10元(2013年5月時点)
【重慶抗戦遺址博物館】
重慶抗戦遺址博物館は、南山山中に建っている国民党・米軍幹部の官舎等の建築物集合遺跡です。
博物館全体の総面積は4053uと広大で見どころはその中に比較的広範囲に分散していること、また上記地図では判り難いのですが、殆どの建物は階段を上り下りした場所に位置していますので、博物館見学ではありますが動き易い服装・靴で行かれることをお勧めします。
ゲートをくぐって100mほど直進すると、まず最初に石柱が並んだ広場が見えて来ます(左写真)。
中心部に建っている石碑には「台湾光復紀念碑」とあり、裏側には詩文が彫られています。
この石碑は2010年に建てられたもので歴史的価値はありませんが、恐らく広場手前に建っている石柱は、当時のゲート跡なのではないかと思われます。但し特段の説明はありませんでした。
石碑の裏側の階段を上ると、右手に「侍従室」(右写真)があります。
現在、中は陳列館となっており、重慶市内の主な戦争時代の建築に関するパネルが展示されています。
この建物はもともとは重慶白礼洋行が建てたものですが、戦争勃発後に国民政府軍事委員会がこのエリアに居住する蒋介石他国民党幹部に仕える職員用として購入しました。
現在、室内はぶち抜きとなっていますが、当時は4室に分かれており、其々軍務、政務、党務、警備を担当する部署が配置されていました。
「侍従室」から広場奥左手方向に進むと、「孔園」(左写真)があります。
この建物も、当初は重慶白礼洋行が建設したものですが、その後国民政府が購入し、行政院長・財政部長・中央銀行総裁などを歴任した孔祥熙(1880〜1967年)の官邸として利用されました。
孔氏は国民党政府の重慶駐留時、行政と金融を担当していましたが、1944年11月には政治の表舞台から引退します。
内部は孔祥熙氏の履歴に関する展示の他、1938年2月から1944年12月の6年10カ月に亘り行われた重慶爆撃に関するパネルが展示されています。
「孔園」から南側に進み、少し小高い場所にある建物は「松亭」(右写真)です。
ここも他建築と同様、重慶白礼洋行が建設したものを国民政府が購入したものですが、主に宋家家姉妹の一人であり蒋介石夫人である宋美齢の別荘として使われていました。
建築面積は347u、建物の後ろに松林があったことから、この名前が付けられました。
室内には宋家三姉妹に関するパネルが展示されています。また蒋介石の筆による「松亭」の当初の額も展示されています。
「松亭」から南に向かい、その後、ひたすら長い階段を上ったところにあるのが「雲由(中国語は山ヘン)楼」(左写真)です。
この建物は国民政府が臨時首都を重慶に移した後、1938年〜1946年の間、蒋介石の官邸として使われていました。
つまり、当時はこの場所が重慶の政治・軍事の真の中心部であったということが出来ます。
建物は1925年築、建築面積は364,5uです。
3階建ですが見学は2階までとなっており、内部には蒋介石と、当時の国民党軍の軍略に関するパネルが展示されています。
新中国成立当初は西南軍政委員会、1952年には療養院従業員宿舎として使われました。
「雲由楼」の正面から階段を下ったところに「草亭」(右写真)があります。
もともとは屋根が茅葺だったことからこの名前が付けられたもので、蒋経国が住んでいた建物です。
内部には、国民党政府に協力した米国陸軍上将、George catlett Marshall(1880〜1595年)と米軍に関連するパネルが展示されています。
更にその先の階段を下って行ったところにあるのは「黄山小学」です(右写真)。
戦時中、国民政府幹部の子弟が学んだ場所とのことですが、筆者が訪れた際には内部は見学出来ませんでした。
窓からのぞくと教室風の机や椅子が並べられていましたので、何れは再整備されて内部が開放される予定なのかもしれません。
尚、「黄山小学」の裏にも更に建物がありましたが、筆者が訪れた時点では道も改装中で、建物もほとんど整備されておらず放置されている状態でした。こちらも何れは整備・開放されるのかもしれません。
「黄山小学」から長い階段を下りていくとあるのが「蓮青楼」(左写真)です。
建物の前に蓮池があったことから、この名前がついています。
こちらも他と同様に、重慶白礼洋行が建築した後に国民政府が購入し、米国軍事顧問団の駐屯地として使用されました。
建築面積は617uと他に比べて広めで、全般的に洋風建築となっています。
館内は戦争期における米軍と国民党軍の共同に関するパネルが展示されています。
「蓮青楼」の右手のスロープを上っていくと、しばらくして最初の石碑広場まで戻ることが出来ます。
筆者はややゆっくり目に回って、見学所要時間約1.5時間でした。
(2013年5月)
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