大仏寺・洋人街


中国各地に宋慶齢所縁の施設が残されていますが、重慶にも地下鉄両路口駅近く、ヒルトンホテルのすぐ裏手に、宋慶齢旧居陳列館という建物が残っています。

この建物は1937年に建築され、国民党政府が重慶を臨時首都に定めた際、外交部が徴用して使用されていたものです。

宋慶齢は、1941年の香港陥落により重慶に逃れて来て以降、1942年から1945年までの間、重慶滞在の際にはここに住居を構え、活動の拠点としていました。

建物は3階建で、左側の階段から直接2階に入ることが出来ます。
2階は主に執務場所、3階はプライベートスペースとして使用されていたようです。

尚、裏手には防空壕も備えられています。
これは1941年5月の日本軍による重慶爆撃で被害を受けた為に設置されたものとのことで、中を見学することが出来ます。

左写真は宋慶齢居室、右下写真は執務室との説明プレートがついていました。

この建物は、入場料が2元必要です。

<宋慶齢概略>
1893年1月27日生〜1981年5月29日没。
孫文夫人。
姉の宋靄齢、妹の宋美齢(蒋介石夫人)と合わせて「宋氏三姉妹」と呼ばれる。
上海で育ち、アメリカ留学後に孫文の秘書を務め、1915年に東京にて孫文と結婚。
孫文逝去後は国民党中央執行委員に就任するも、徐々に蒋介石と対立。
中華人民共和国成立後も中国大陸に残留、1959年には国家副主席に就任。
1981年北京にて病没、墓所は上海の宋慶齢陵園。



(2013年3月)