【黄葛古道について】
黄葛古道は四川・重慶⇔貴州・雲南、更には東南アジアをも結ぶ古代の主要物流路の一つで、「巴渝12景」にも選ばれ、地元では「重慶版シルクロード」とも呼ばれている著名な古道です。
古くは唐の時代から使われていた記録があり、明・清代には古道沿いに多くの商店や宿屋、レストランなどが立ち並んでいたそうですが、1880年代に一般道路が整備されたことから、物流路としてのその使命を終えました。
地元の人によれば以前は少し雨が降っただけでもぬかるんで歩けないような道だったそうですが、今日ではコンクリート製階段も整備され、気軽なトレッキングが楽しめる山道となっています。
尚、2012年6月の重慶鳳凰網の報道によれば、今後は階段の傾斜を緩くしたり山門や路灯を設置する計画もあるそうなので、何れは観光名所的な場所に生まれ変わるかもしれません。
【黄葛古道の歩き方】
黄葛古道は登口から山頂の文峰塔まで、約1時間〜1.5時間の道のりです。
それほど長い距離ではありませんが、やや判り難いので簡単に道順を記載します。
長江南側(南岸区側)沿いを走る南濱路を重慶シェラトンホテル(金色のツインタワー)で南に曲がり四海大道へ、次に海棠渓新街を左折、江南体育館の裏手にある小さな広場が登り口となっています。道沿いに特に目印はありませんが、広場の奥に右上写真の大きな石碑が立っていますので、この石碑左手の小道をグラウンド沿いに進むと山へと登る道が見えてきます。
山道をゆっくり10〜15分ほど登ると少し見晴らしの良い場所に出ます。そこに左上写真の案内板が出ていますので、案内板に従って更に山を登ります。
更に5〜10分程度で突き当りを左折、暫くは山道ではなく普通の平坦な舗装道路を進むこと10分ほどで高速道路の下を抜けると、右に非常に小さな登山口があります。
左写真は逆向きに撮ってしまったので判り難いのですが、左に赤い旗のようなものが出ている場所が登り口です。但し、古道の案内板のようなものは全く何もありませんので、ここはもし判らなければ、近所の方々に「黄葛古道はどこか」、若しくは頂上にある「文峰塔へ行く道はどこか」と聞いて廻るしか無いかと思います。
山道を暫く登ると、左写真(左)のような鬱蒼と茂る竹林になります。
更にその先を進むと20分〜30分ほどで階段の周囲の景色が開けた場所に出ます。ここで後ろを振り返ると、渝中区中心部や、長江と嘉陵江が交わる朝天門が非常に綺麗に見晴らせます。
その先の突き当りを右折して10〜15分ほど進むと十字路があり、その先にある左写真(右)のような直線階段を10分ほど登るとゴールの山頂にある文峰塔に到着です。
【文峰塔】
黄葛古道の山頂には文峰塔という仏塔が建っています。
文峰塔は清道光30年(1850)年に当時の重慶駐留軍が指揮を取って建築されたものです。従って、「仏塔」様式ではありますが、近くにお寺があった訳ではなく、実際には余り宗教的な意味合いはありません。
六角形7層レンガ造りで、高さは22.74mあります。
前述の通り1880年代以降、新道の整備により黄葛古道は廃れてしまったことから、その後、文峰塔を訪れる人もいなくなり、長期間放置されてしまった為に破損が進んでいましたが、2008年に重慶市と南岸区政府による修復作業が行われ、建築当初の姿に復元されています。
地元の人によれば、以前は内部に入れたそうですが、現在は内部崩壊が進んでいる為に立ち入り禁止となっています。
【旧ドイツ大使館】
文峰塔へ登る最後の直線階段の手前の十字路を右に曲がって暫く進むと、旧ドイツ大使館があります。
何故このような場所にドイツ大使館があるのかについては、建物の裏にある「Dr
P.Assmy 1869〜1935」と書いた墓碑(右下写真)がその謎を解く鍵を握っていました。
このDr. Paul Assmyという方は1869年生まれのポーランド人で、その後中国に渡って開業医となり、中国人女性と結婚します。
その後、1906年に駐重慶ドイツ領事館の委託を受けて診療所兼医療学院を重慶の七星崗に開設しますが、余りにも古い物件だったことから、当時英語教育に力を入れヨーロッパ人を集めていた広益中学の裏山のこの地に別荘を建てることとしました。
その後、1938年に国民党政府の重慶移転に伴って在重慶ドイツ領事館がドイツ大使館となった際、ドイツ大使館は日本軍の爆撃を避けるべく、この山中に建てられていたDr.
Paul Assmyの別荘を大使館にしたのです。
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尚、旧ドイツ大使館へと向かう道の途中で林が切れる場所があり、そこからは渝中区中心部のビル街を眺めることが出来ますので、是非、足を止めてみてください。
(2012年11月)
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