嘉陽小火車・芭石鉄路


【ロウ中の歩き方】

ロウ(中国語は門構えに良、中国語発音はLang)中は、四川省南充市にある地方都市です。かつては保寧という地名でした。

雲南省麗江・山西省平遥・安徽省歙県徽州と並んで「中国4大古城」と呼ばれているのですが、何故か日本はおろか、最近観光がブームの中国でもそれほど知られていません(2015年1月時点)。

重慶市中心部からは300km弱、ロウ中古城のすぐ近くまで高速道路が繋がっており、車で約3〜3.5時間程度で到着します。

鉄道の場合、現状は南充で下車し、そこから更に100km近くを車で移動する必要がある為、重慶から車をチャーターして向かうのが便利ではないかと思います。近くに高速鉄道らしき高架の建設が進んでいましたので、何れは近くまで鉄道で来られるようになるのかもしれません。

ロウ中古城内には多くの宿泊施設があり、中には古民家を改装したものもあります。ライトアップされた古城内も非常に美しいので、お時間のある方は1泊されてみるのもお勧めです。

城内は非常に広く端から端まで歩くと30分以上かかる為、城内の移動は電動カートが便利です(左写真)。

一日乗降自由券:20元(2015年1月時点)

カートの運転手に言えば丸いシールを服か鞄に貼り付けられて、それが1日券となります。

城内の主要な建物の見学はセット券となっています。

観光セット券:120元)2015年1月時点)

このセット券は3日間有効なので、宿泊される方は前日に見忘れたスポットがあっても、翌日もこのチケットで見学することが出来ます。

この街の名物は張飛牛肉とロウ州酢です。

張飛牛肉は、四川劇風のくま取りをした顔がマークの、四川省と重慶市のお土産の定番ですが、実はここロウ中が発祥の地です(その理由は以下本文の張飛廟を参照ください)。

重慶市内ではパックで売られているものしか見掛けませんが、古城のお店ではその場で調理したものが売られており、お土産用だと言えば真空パックにもしてくれます。

ロウ州酢には色々な材料から作った多くの種類があり、お酢屋でお願いすれば試飲も出来ます。

古城の中には多くの酢と牛肉のお店が軒を連ねていますので、食べ歩き、飲み歩きしながら、自分の好みにあったお店を見つけるのも楽しいと思います。


【ロウ中】

ロウ中は嘉陵江が曲がりくねった半島のような場所に位置しています。
風水館には古代ロウ中(下写真の上)、入口のインフォメーションセンターには現在のロウ中(下写真の下)の模型が展示されていますが、独特の地形にあることを見て取ることが出来ます。


ロウ中には多くの見所がありますが、セット券に含まれていた主な観光地を中心にご紹介します。


<華光楼>

ロウ中が紹介されている写真では必ずと言って良いほどに出てくるのが、この華光楼です。
古城に入って最初に出会う楼閣でもあり、ロウ中古城のシンボルです。

華光楼は南楼とも言い、創建は唐代にまで遡ります。
火災等による被害を受け、現在の楼閣は清同治6年(1867年)に再建されたものです。

楼の高さは25.5m、三層建築となっており、緑屋根の楼閣は、基本的に灰瓦葺平屋建のロウ中古城建築の中では一際目立つ存在であり、「ロウ中苑第一楼」とも呼ばれているそうです。

この楼閣上から見るロウ中古城は非常に素晴らしい景色です(写真はクリックすると拡大します)。

<風水館>

華光楼を過ぎた少し先にある風水の展示館です。
ロウ中はその地形から風水の街とも呼ばれている為、このような展示館があるようです。

入口を入ってすぐの場所に冒頭の古代ロウ中古城の展示がありますが、それ以外は風水に興味がなければ余り見る意味は無いかもしれません。

尚、出口近くに英語表記も含めた宿泊案内がありましたので宿泊も可能なようです。


<錦屏門(南門)>

現在のラン中古城のほぼ中心部にある城門です。
明洪武4年(1371年)にラン中に城門が建築された際、この門は城の南に位置していた為、南門とも呼ばれています。


その後明成化年間に城楼が築かれ、清乾隆34年(1767年)に修築されました。
現在の城門は2010年に従来の城門跡に再建されたものなので、残念乍ら建築物としてはあまり価値はありません。

楼閣の周辺にはお土産物屋がありますが、筆者はこの楼閣のすぐ南側にあった「肖家醋坊」の酢が飲み比べの結果一番おいしかったので、そこでお土産の酢を大量に買い込みました。


<貢院>

ロウ中観光地の中でも最大の見所の一つがこの貢院です。

中国で最も保存状態が良いと言われている科挙試験場の建物であることから、2013年に全国重点文物保護単位に指定されています。

現在、内部は科挙博物館となっています。

基本的な造りは四合院風ですが、科挙を行う為の小部屋が多数配置されています。
入口を入ったところでは当時の試験の様子を再現したパフォーマンスが行われており(右写真)、お金を払えば観光客も科挙の扮装で参加出来るようでした。


<文廟>

中国各地にある文廟、つまり孔子廟です。

が、この街の文廟は、残念乍ら古い建築は残っておらず、現在の建物は2013年に再建されたピカピカの最新建築です。

但し、基壇の部分はかつての文廟の遺構をそのまま使用しているとのことですので、歴史スポットがお好きな方は、建物ではなく基壇部分に注目して観光されると良いかもしれません。


<中天楼>

張飛廟よりも少し中央寄りにある楼閣です。

唐代に創建され、清代には詩人金玉麟が「十丈欄干三折上、万家灯火四囲中」と読んだ楼閣でしたが、残念乍ら中華民国初年に一旦は撤去され、現在の建物は2006年に再建されたものとなっています。

この楼閣を中心とした通りがロウ中古城の中でも最も賑やかなレストラン・商店街であることから、ここから見る景色は華光楼とはまた異なり、活気あふれた様子を上から眺めることが出来ます。
個人的にはここから見る景色が一番気に入りました。

筆者はこの中天楼のすぐ北側にある牛肉屋の味が好みでしたので、お土産用の牛肉はそのお店で購入しました。

尚、中天楼から牛肉屋を通り過ぎて更に南に下ると、右手に小さな日本食屋もありました。

尚、この楼閣に登るには、南側にある彫塑像博物館のような入口から入る必要があります。博物館自体も四合院建築となっており、中から見上げる楼閣も風情がありました(右写真、クリックすると拡大します)。


<張飛廟>

冒頭にも書きましたが、ロウ中が張飛牛肉発祥の地となったのは、この地が張飛所縁の地であったことによります。

この張飛廟は、豪勇として鳴らした張飛が将にその生命を全うした地です。

張飛については三国志に詳しくない方でもある程度はご存知かと思いますので、ここでは詳細は割愛し、張飛とロウ中について少し記述したいと思います。

<張飛の最期>

章武元年(221年)に劉備玄徳が蜀の皇帝に即位し、、張飛は車騎将軍兼司隷校尉に任命されます。

実はその前年の建安24年(220年)、劉備玄徳のもう一人の片腕、関羽が呉との戦いに敗れ、斬首されていました。

劉備、張飛ともに関羽の仇を打つべく出兵を考えますが、戦況的に利は無く反対する部下が多かったようです。

然し最終的には劉備は呉への出兵を決断、張飛は1万の兵を率いてこの地、ロウ中を出立することとなりました。

然しその準備の最中、日頃から部下に厳しい(というよりは不条理)な仕打ちが多かったこともあり、張飛に恨みを抱いていた部下の張達・范彊は、このままでは何れ自らが危ないと考え、張飛をこの地で殺害してしまいます。

後日談ですが、景耀3年(260年)、張飛は劉禅によって桓侯と諡られたことから、張飛廟の入口には右上写真の通り「漢桓侯祠」と表記されています。

筆者も三国志に詳しい訳ではありませんが、劉備・関羽・張飛が今でも人気を集めているその理由は、単なる英雄というだけではなく、死にざまも含めた人間らしさにあるのかもしれない、と張飛の墓の前に立ちながら考えさせられました。


【錦屏山】

錦屏山はロウ中古城から嘉陵江を挟んだ南の山中にあります。

ロウ中古城から船で嘉陵江を渡って向かうことも出来ますが、山登りになるので、車で訪れた方は直接入口まで車で登られることをお勧めします。

入口を入ると有料の電動車が山頂まで運んでくれます。

電動:10元(往復)

国家4A級観光地に指定されているものの、中にある観光ポイントは再建であったりとそれほど価値は感じられません。
この場所の最大の観光地は嘉陵江に面した場所からのロウ中古城の景色です。

筆者も山頂から古城が美しく見えると聞いて訪れたのですが、残念乍ら重慶・四川盆地名物、冬の霧(+若干別の物質)によって可也白く、絶景とまでは行きませんでした(右写真はクリックすると拡大します)。


【大仏寺】

大仏寺はその名の通り 大仏が祀られている寺院です。

ロウ中古城から嘉陵江を挟んで南東方向の対岸山頂に位置しており、古城から車で10分程度で到着します。

大仏は唐憲宗の元和4年(809年)頃に作られたと言われています。宋太宗雍熙2年(985年)に永安院、宋徽宗祟寧2年(1103年)には福昌院と呼ばれていましたが、明代の嘉靖年間に現在の大仏寺に改称されました。

清嘉慶18年(1813年)に記された『重建大仏寺磨岩記』にもその名を見ることが出来ます。

大仏像は釈迦像であり、高さ9.88m、大仏像の両側には高さ10.2cmの仏像が4700余りも掘り込まれています。

最奥部にある展望台までゆっくり一周回っても約1時間程度です。

ところで、この観光地の裏の、そして最大の見所は、実は最奥部展望台手前にある階段です(左写真)。

写真ではあまり伝わらないかもしれませんが、有り得ない急角度の階段が120段ほど続いています。

筆者は登ってみましたが、登り終えて頂上から振り返ると殆ど直角のような恐ろしい光景でした。地元のカップルもこの階段上まで来て、男性が「降りるか?」と聞くと、女性は「絶対無理〜」と反応していました。

尚、階段の上からも下からも入口に通じていますので、より一層恐怖を味わいたい方は、大仏を過ぎて右手に登り階段を見掛けたらそこを登ってひたすら先に進んで頂くと、この恐怖階段の上から下に降りてくるコースが待っています。


(2015年1月)