嘉陽小火車・芭石鉄路


【景徳鎮】

景徳鎮は江西省の東北部にある一地方都市ですが、陶磁器(主に磁器)の名産地として世界的にも有名です。

然しその有名な景徳鎮という地名が定まったのは約1000年前であり、それ以前は頻繁に名前を変えていました。

記録によれば春秋時代の楚の頃から街として存在し、秦代には九江郡、漢代にはハ陽県(ハは番におおざと)に属していました。

晋代当初は新平鎮と呼ばれていましたが、昌江の南に位置していたことから昌南と改名、その後一旦県が廃止された後に復活し、新昌県、浮梁県に所属することになります。

陶磁器の生産は漢代から行われていたそうですが、宋真宗皇帝の景徳元年(1004年)、この地で生産される磁器が極めて良質だということで宮廷御用達となり、器の底部裏に「景徳」と年号を記したことから地名も景徳鎮と改名されました。

1949年の新中国成立後に現在の景徳鎮市となりました。

然しこの地名、よく考えますと面白いものがあります。

元々「鎮」は日本語の「町/村」に相当しますが、景徳という「鎮」が「市」に昇格する際、本来は行政単位だった「鎮」ごと地名化し「景徳鎮市」となったということは、日本であれば「○○町」が市に昇格した際、「○○町市」という名前になったようなものです。それほどに「景徳鎮」という名前が既に不可分の一つの固有名詞となっていたということなのだと思います(ネットで調べてみますと、日本にも「○○町市」という地名はいくつか存在するようです)。

流石に陶磁器の街だけあり、左上や右写真のように、信号や街灯までもが陶磁器で作られているところがありました(壊れないのかちょっと心配になりますが)。

ところで、英語を習いたての頃、辞書で「china」と引くと一文字目が小文字の一般名詞の場合は「磁器」(因みに「japan」は漆器)を意味すると知って驚いた記憶があります。

これは、18世紀以前、西洋には磁器を製造する技術が無く、磁器は全てChina(英語の語源は秦の発音に由来するという説が有力)から輸入され珍重されていた為に、磁器の事を「china」と呼ぶようになったそうです。

当時輸出されていた磁器の多くは景徳鎮産だったようですから、ここ景徳鎮は、国名が地元名産の海外での商品名になった、という偉大な歴史を誇る街だと言えます。

然しその偉大で有名な景徳鎮も、現在は一地方都市に過ぎないということもあり、景徳鎮空港にはボーディング・ブリッジが2つしか無く、就航本数も非常に限られていますので、旅程を組む際には注意が必要です。

空港は市街地から非常に近い為、渋滞がなければ車で20分ほどで市中心部に着くことが出来ます。
焼き物の街だけあって、現在は日本の有田市と瀬戸市が友好都市を締結しているそうです。


【古窯民俗博覧区】

景徳鎮市には、その焼物の発展の歴史が判る、各時代の窯を再現展示した博物館があります。

現在は国家5A級観光地にも指定されており、焼物にご興味のある方は一見に値する場所です。

以下、時代別に展示されている窯をご紹介します。

<宋代>

景徳鎮が陶磁器、特に磁器の生産地として栄えたのは宋代からです。
右上の写真は宋代の窯を再現したものですが、「龍窯」と書かれています。

何故このような名前なのかは右上の正面写真では判りませんが、横から見ますと(左写真)一目瞭然で、長細い形をした独特の形状が龍に似ていることから、この名が付きました。

一番下の部分が焚口で「窯頭」、細長い本体部分を「窯室」(中国語では「窯床」)、一番後ろの高いところにある排煙部分を「窯尾」と言います。傾斜は通常8〜20度、長さは50〜80m程度です。

この形態の窯は、(1)構造が簡単な割に高温で焼ける、(2)一度に大量生産可能、(3)山の斜面など自然地形が利用可能、といったメリットがあることから、古くは殷代から発見されているなど中国の伝統的な窯形式だと言えます。

写真の通り、宋代のものは煉瓦積みとなっており、窯室側面に出入口が見られないことから、恐らく窯頭から入って中に焼物を詰め、焼きあがった後は再び窯頭から入って取り出していたと言われています。

非常に長細い形状であることから、一度に大量の焼物を作ることが可能で、宋代の規模の大きい龍窯では一度に数万点を焼くことが出来ました。

<元代>

元代に入ると伝統的な龍窯から饅頭窯と呼ばれる形態に進化していきます。

こちらも建物外観(右写真)だけでは全く判りませんが、中に入って窯それ自体を見れば、饅頭窯というネーミングの理由がよく判ります(左下写真)。

この饅頭窯は、半倒焔式窯炉ともいい、炎が一旦窯の中から上に昇った後、再び窯の底に向かって吹き下がってくるという特徴を有しています。

この為、1300度近い高温で焼くことが出来たと言われています。

窯形が、中央の入口がやや奥に窪んでおり、両脇が手前に盛り上がっていることから窯底を見ると馬蹄形をしている為、馬蹄形窯とも呼ばれています。

<明代>

明代に入ると葫蘆窯と呼ばれる形態の窯に移行します。

写真でもお判りの通り、元代の饅頭窯と見た目はそれほど大きく変わっていません。

葫蘆というのは瓢箪の別名で、その形状が瓢箪に見えたことからついた名前だと言われています。

基本的な構造は元代と同様ですが、全体的な造りは強化されており、元代窯から次にご紹介する清代窯への発展途上形であることが見て取れます。

<清代>

清代に入ると鎮窯と呼ばれる形式になり、見た目も一気に近代化します。

外観も、従来の窯を覆うだけに存在していた建屋から、一つの陶磁器工房としての機能を有する大きな木造建築になっています(左写真)。

中心となる窯の部分は建屋の1/4のみであり、それ以外は材料保管から形成までの工程がこの建屋の中で行えるようになっています。

右写真は窯内部の様子を再現したものです。中には入れませんが、外から奥まで見通すことが出来、窯の大きさも饅頭窯や葫蘆窯よりも遥かに大きいことが判ります。

この窯だけは他とは異なり再現ではなく当時の実物が展示されていることから、2000年7月に江西省級重点文物保護単位に指定されています。

この窯は主に白磁、青磁を生産していたそうです。

博覧区には、この他にも博物館や陶磁器の製造・販売しているコーナーもあり、陶磁器がお好きな方であれば、半日以上たっぷりと楽しめるのではないかと思います。


【製造工程】

博覧区では当時の製造工程を再現していましたので、簡単にご紹介します(結構細かい行程が多いので、相当端折っている点、ご了承ください)。ここで作られた陶磁器はそのまま現地販売されています。

材料となる粘土です。

たまたま工房に運搬
されているところを見掛けましたが、見た目は石灰岩のような感じで、さわると手に白い粉がたくさん付着しました。
粘土をこねた後、まずは一番基本的な器の原形を成形していきます。

写真の職人が棒を持っていますが、これはろくろを回している様子です。
先ず棒でろくろを回し、止まらないうちに成形を行います。
次に台の部分などの細かいパーツを作成し、原形につけていきます。

これは見ているよりも難しいらしく、筆者が見ていたタイミングで職人さんは失敗していました。
形が出来上がったところで天日干しをします。

博覧区では至るところに多くの天日干しされた陶磁器が並べられていました。
最後が絵付けです。

率直に言って観光地用パフォーマンスの為か、結構ハイスピードで多少のズレも気にせずどんどん絵を付けていました。

この過程が終われば、窯で最後の肝である焼きを行うことになります。



【<ミニ知識>陶磁器とは?】

「陶磁器」という言い方をしますが、実際には「陶器」と「磁器」は異なる焼物として分類されています。

簡単に違いを纏めると以下の通りです。

陶器 : 粘土を低温で焼いた焼物
磁器 : 長石(鉱物)を含む磁土を高温で焼いた焼物

陶器はシンプルな造り方であることから、所謂「縄文式土器」や「弥生式土器」なども幅広い意味では陶器の一種だということも出来ます。

一般用語としては、野焼きで焼いたものが「土器」、窯で焼いたものが「陶器」という程度の区分となっているようです。

中学校の歴史の授業で「土師器」「須恵器」というのを習ったことを覚えている方もおられると思いますが、ざっくり言えば「土師器」は「弥生式土器」の流れを汲んだ「土器」の古墳時代の名称、一方で「須恵器」はろくろを使って形を整え窯で焼く朝鮮半島から製法が伝来した「陶器」、ということになります。

因みに中国では「土器」という表現は用いられていません。故に、日本語では「彩色土器」と呼ばれているものは、中国語では「彩陶」と呼びます。

一方、磁器はその製法が高度であることから、製造が始まったのは1000年ほど前、正に景徳鎮で作られるようになった頃が起源だと言われています。

現在の陶器は品質が高いものが多く、素人目には磁器と判別がつかないかもしれませんが、見分け方としては、まだ土質がどことなく残っている柔らかい素朴な印象を持つのが陶器、一方でガラスのような硬質さと表面の滑らかさが際立っているのが磁器、といったところです。

日本の名産地で分ければ、信楽焼や備前焼は陶器、伊万里焼や美濃焼は磁器、ということになります。

西洋ではマイセンは磁器になります。マイセンというのはドイツの地名ですが、中国の磁器の素晴らしさに魅せられた西洋人が何とか西洋でも作ろう、として18世紀初頭に学者や技術者のみならず錬金術師まで動員してマイセンでその作成に成功したものです。

筆者の家ではウェッジウッドを愛用していますが(といってもそんなに数は無いですが)、今回ついでに調べてみたところ、ウェッジウッドの食器は厳密には陶器でも磁器でもなく、英国人ジョサイヤ・ウエッジウッドが創立したウェッジウッド社が陶器をベースに様々な工夫を凝らして発展させた独自の焼物、ということらしいです。

然しながら、陶器と磁器の定義は曖昧な部分も多々あり、また日本語と中国語でも呼んでいる範囲が異なっているようですから、陶器なのか磁器なのかをあまり気にすることなく、自分の好きな焼物を楽しむ、ということで良いのであろうと思います。


(2014年11月)