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嘉陽小火車・芭石鉄路



【四川嘉陽国家鉱山公園】

嘉陽小火車・芭石鉄路は、四川省楽山市建(注:正しくは牛ヘン、Qian)為県芭溝鎮にある、狭軌蒸気機関車が現役で走る路線です。

元々は1938年に中英合弁で設立された嘉陽石炭鉱山から石炭を積み出したり、労働者を運搬する為の鉄道として敷設されたもので、今日も現役で蒸気機関車が使われている中国でも稀なケースであることから、2010年5月、国家国土資源部により総面積38万kuの「四川嘉陽国家鉱山公園」として認定され、2011年9月に正式開園するなど、整備が進んでいます。

四川嘉陽国家鉱山公園の中に入ると、線路があり、踏切近くには2つの記念碑(右上写真)が建てられています。

左には
「省級文物保護単位 嘉陽小火車・芭石窄軌鉄路 四川省人民政府 2007年6月1日」、
右には
「楽山市文物保護単位 嘉陽火火車・芭石鉄路 工業遺産 楽山市人民政府 2006年4月18日」
とありましたので、歴史的に価値があるものと認められたのはつい最近になってからのようです。

最近では急速な観光地化が進んでおり、乗車券売り場は左写真のような立派な建物になっていました。


【芭石鉄路】

上述の通り、芭石鉄路は嘉陽石炭鉱山と街の間を石炭や労働者を運搬する為に敷設された鉄道であり、芭石の名前は、鉱山のある芭溝駅の「芭」と、街に近い石渓駅の「石」からついたものです。

鉱山は1938年に開山しましたが、石炭の積み出しの利便性を高め為、1958年8月、芭蕉溝と石渓鎮の間に鉄道敷設が開始されました。当初は軌幅600oでしたが、1960年には762oに改修され、1978年には石炭を積む貨物用と人を運ぶ客車用に分離され、ほぼ現在の形になっています。

2003年末、嘉陽小火車を経営する嘉陽集団は、運営コストが嵩み損失が大きくなったとして芭石鉄路の廃線を一旦は決定しましたが、大きな社会問題に発展、結局2004年5月に四川省人民政府が嘉陽小火車を工業遺産に認定する方針を発表したことで、無事、存続されることとなりました。

嘉陽石炭鉱山は現在も少量ではありますが現役で石炭を採掘しているようで、躍進駅で小火車を待っていたところ、石炭積出専用の電気機関車と車両がやってきました。

左写真のように躍進駅で石炭の積み込みを行い、街のある石渓駅へと運んでいるようです。


【嘉陽小火車】

嘉陽小火車の「嘉陽」は、もともと鉱山の運営を行ってきた会社の名前のようで、現在は嘉陽集団という企業グループになっているそうです。

中国語では「火車」は「汽車」の意味なので、「嘉陽小火車」とは、嘉陽の狭軌の汽車、という意味になります。尚、狭軌の蒸気機関車は、正確な中国語では「窄軌蒸気機車」というようです。

筆者が訪れた際には車体番号10(右写真上)と車体番号14(右写真下)の2タイプを見ることが出来ました(右写真はクリックすると拡大します)。

この車両はC2型というタイプの中国で最も多く作られた狭軌蒸気機関車で、1953年より石家庄動力機械廠にて製造されたものです。

車長10.06m、車幅2.05m、車高3.15m、車体重量20t、整備重量(燃料等を入れた状態の重量)28tと、蒸気機関車としては可也小型だと思います。

機関車の後ろには炭水車が接続されており、ボイラーを開けると中では真っ赤に石炭が燃えている様子が判ります。

機関車の様子を見ていると、一定距離を走行したところで、燃焼がほぼ終わった石炭を大胆にも機関車の真下に投棄していました。更に様子を見ていると、機関車が去った後、近所の人がまだ燻っている石炭を鉄バケツに移して自宅に持ち帰っていました。

恐らく、そのまま竈か何かの火に使うのだろうと思います。

<蒸気機関車ミニ知識>

蒸気機関車は、前方重量を支える「先輪」/動力を伝える「動輪」/後方重量を支える「従輪」、の3つの車輪の組み合わせによって、タイプを分けることが出来ます。呼び方は主に以下2種類があります。

ホワイト式  :  「先輪」「動輪」「従輪」の車輪の数(通常は軸の数の倍)をハイフンで繋いで表記
日本/ドイツ式: 「先輪」を軸数、「動輪」は1軸がA/2軸がBとアルファベット表示、「従輪」も軸数、をそのまま繋いで表記。但し「先輪」「従輪」が無い場合、0は記載せず。
     
C2型の軸輪は、上写真の通り、「先輪」も「従輪」も無く、「動輪」が4軸(車輪8輪)ですので、
ホワイト式 : 0−8ー0
日本/ドイツ式: D
ということになります。

因みに、アメリカでは各車軸タイプに其々固有名詞をつけるという面倒くさいことをしており、アメリカではこのタイプを「Eight wheel coupled」と呼んでいるそうです。このタイプはほぼそのままの表現ですが、例えば有名なD51(デゴイチ)の車軸(ホワイト式:2−8−2、日本/ドイツ式1D1)のアメリカ式呼称は「Mikado(ミカド)」だそうです。



【車両】

現在、芭石鉄路の客車には従来通り地元の方々や物資を運ぶ為の「普通車両」と、観光客を専門に乗せる「観光車両」の2種類が蒸気機関車に接続されています。

「普通車両」にも、窓際に18座席を配置する車長4.5m・車幅2mのタイプ(左写真中央)と、無座席で人と貨物の両方を乗せる車長8m・車幅2mのタイプ(左写真中央左)の2種類があります。

「普通車両」にも観光客が乗ることは出来ます。

観光車両は長さ8m・幅2.1mの車両タイプのみですが、何種類か色があり、空調のあるタイプと無いタイプがあるようです。

観光車両の内部は左写真の通り非常にシンプルですがしっかりとした造りになっています。
筆者が乗車したタイプは外装青・空調有り、でした。

また、切符には座席番号が記載されており、指定席になっています。
片道50元、往復100元と非常にお高い設定ですが、観光車両は観光の為のイベント(後述します)が幾つか設定されています。

尚、筆者が訪れた際の躍進駅発車時刻・乗車料金は以下の通りです。
<普通車両> 07:00、13:00、17:00 (但し休祝日の13:00は観光車両となる為、運休)、片道5元
<観光車両> 10:30、13:00(休祝日のみ)、片道50元・往復100元


【観光路線】

芭石鉄路は、街に近い石渓駅と炭鉱の芭溝駅を結んでいる為にこの名前がついていますが、観光では石渓駅の次にある躍進駅から出発し、芭溝駅の次にある終点の黄村井駅で折り返して戻ってくるコースとなります。

<芭石鉄路路線>
石渓駅→(4.4km)→躍進駅→(5.0km)→蜜蜂岩駅→(3.2km)→菜子覇駅→(2.0km)→仙人脚駅→(2.2km)→焦覇駅→(1.4km)→芭溝駅→(1.6km)→黄村井駅

躍進駅を出発する際、機関車は逆向きに接続されており、蜜蜂岩駅まではバックで客車を牽引していきます。

蜜蜂岩駅で機関車は一旦客車から切り離され、スイッチバックして先頭向きに再度接続されます(左上写真はスイッチバック中の機関車)。
蜜蜂岩駅は機関車展示場となっているので、観光客はその間、客車を降りて機関車展示を楽しむことが出来ます。


次の菜子覇駅の手前が、観光の目玉の一つ、半径70mの大カーブです。
往路は進行方向左側、復路は右側に座ると、車窓からカーブを曲がっていく列車の様子を見ることが出来ます。

筆者が乗車した際は、写真撮影サービスの為か菜子覇駅の手前、カーブの途中で一旦停車してくれたのですが、再出発しようと動輪を始動したところ、このカーブは登り坂、且つ小雨だったために動輪が空回りして列車が動かなくなってしまいました。

一瞬どうなることかと思いましたが、何度かバックして平地から勢いをつけて登ったところ、無事に菜子覇駅へと到着することが出来ました。
3連休の中日に訪れた為、ほぼ満席でしたので、もしかすると雨に加えて重量オーバーだったのかもしれません。

仙人脚駅を過ぎると、列車は観光最大の目玉となっている亮水沱を通過します。

この場所は非常に開けており絶好の写真スポットであることから、列車はこの場所を通過したところで停車して乗客を降ろし、バックして元に戻って、走ってくる様子を乗客に写真に撮らせる、というサービスになっています。

筆者が訪れた際は残念乍ら小雨でしたが、晴れていれば機関車から出る蒸気に虹が出来て大変に綺麗だそうです。

参考まで、亮水沱で下車したところに最も綺麗なときの写真パネルが出ていましたので掲載しておきます。とはいえ、「蜀犬、日に吠ゆ」の諺通り、四川省・重慶市は太陽が出る日が少ないことから、このように綺麗な虹が見られる方が珍しいものと思います。

続いて列車は焦覇駅を通過します。

この駅は、かつて嘉陽炭鉱全盛期の2号鉱採掘口であり、1988年に閉山しましたが、現在も当時の施設が残っている、近代産業遺跡です。左写真は(機関車の蒸気で煙っておりやや見難いですが)石炭を石炭車に積み込む施設跡です。

次の停車駅は芭溝駅で、ここはかつて鉱山町として栄えたことから、現在でも多くの建物が残っています。

筆者は残念乍らここでは下車しませんでしたので、右写真も走行中の車窓からのものですが、前述の通り、この鉱山は英国資本によって作られた為、イギリス式の建築や、当時中国と交流が深かったソ連式の建築が多数残っているそうです。

芭溝駅を過ぎると、列車はいよいよ終着駅である黄村井駅に到着します。

往復乗車券で乗車した場合でも、この駅で10分ほど下車することが出来ます。黄村井はかつての嘉陽炭鉱1号鉱採掘口であり、現在も採掘口が残っていますので、当時の様子を簡単に見て回ることが出来ます。

採掘口の中も観光出来るようですが、往復乗車券の停車時間だけでは見る時間は残念乍らありません。

黄村井駅で機関車は再び切り離され、復路の進行方向に逆向きに接続されます。
復路はこの形で、機関車が先頭ではありますが、バックで牽引していくことになります。

バックで牽引する蒸気機関車を車窓から撮影しましたが、やはり違和感が無くもありません。

復路は特段の観光的なイベントも無く、列車は一気に蜜蜂岩駅へと戻り、ここで再び機関車は切り離されてスイッチバックし、前向きの牽引へと戻り、始発駅の躍進駅に向かいます。

ところで往復のところどころで、所謂「撮り鉄」を見かけました。

中国ではまだまだ鉄道=しんどい移動手段、という位置づけで、鉄道を楽しむ方は少数派、2010年に青蔵鉄道に乗車した際にも、一所懸命列車の写真を撮っていたのは私だけでしたが、今回は結構多数の「撮り鉄」を見かけたということは、中国も徐々に鉄道好きな方が増えているのと、この嘉陽小火車が中国の方にとっても希少な存在となったということの証なのであろう、と感じました。

以上、往復で約2.5時間のミニ蒸気機関車の旅は終了です。

尚、筆者は躍進駅10:30発、躍進駅13:00着、予定の便に乗車したのですが、まず列車の到着が遅れて実際に出発したのは11:00、その後も細かく遅れが発生し、結局、躍進駅に戻ってきたのは14:30近くでした。

線路は全て単線なので、行き違う列車を待たなければならず、ダイヤは一度狂い出すと大きく狂ってしまうようです。
従いまして、観光に行かれる際には、お戻りの時間には余裕を持っておかれることをお勧めします。


【建為県】

嘉陽小火車・芭石鉄路のある建(注:正しくは牛ヘン、Qian)為県は大仏で有名な楽山市の中心部から更に南に約50kmほど下ったところにある、非常に小さな田舎町です。

炭鉱が閉山され、嘉陽小火車の観光が盛り上がる以前は、恐らくほとんど何もない街だったのではないか、と思われます。

街そのものの歴史は古く、人が集まりだしたのは隋代からだと言われていますが、それほど古い遺跡は残っておらず、この町最大の観光スポットは、「文廟」となっています。

北宋時代の創建され、明の洪武4年に再建、敷地面積2万4千uと、非常に大きな規模を誇っています。

筆者は残念乍ら時間が無く中には入りませんでしたが、お時間に余裕のある場合は、小火車体験と併せて見学されてみても宜しいかと思います。

尚、街中には複数の路線バスが走っている他、都市部では少なくなった自転車タクシーが多数走っていますので、移動には意外と困らないものと思います。自転車タクシーは市内移動であれば概ね5元でした。

また、中心部から小火車へは専用のバスも走っていました。


【参考文献】
『嘉陽小火車』、張祥、吉林撮影出版社、2012年。


(2013年4月)