大仏寺・洋人街


【東温泉への行き方】


東温泉は、その名の通り、重慶市中心部から直線距離で約40km、実際の走行距離では60kmほど東にある、歴史ある温泉です。

東温泉へは、南坪長距離バスターミナルから東泉(東温泉と同義)行きのバスに乗車しますと、約100分で到着します。

尚、筆者は復路はバスで戻りましたが往路はタクシーを使ったところ、道が判り難かったことから色々とトラブルがありましたので、ある程度バスの旅に慣れている方であれば、バスの方がお勧めです。

バスは東温泉の最も有名な観光地「三峰泉風景区」から500mほど離れた、秀泉映月温泉花園酒店近くのT字路に停まります。筆者はこのホテルに泊まりましたので、殆どドアツードアで南坪へ移動出来ました。


【東温泉の観光スポット】

<三峰泉風景区>


東温泉で最も有名な観光スポットは「三峰泉風景区」です。

風景区の全体図は右写真の通りです(クリックすると拡大します。赤矢印は筆者の歩いたルートです)。

この案内図では判り難いのですが、各見所の移動は殆どが階段になっています。距離そのものは大したことはありませんが、高低差は結構ありますので、歩き易い服装・靴で行かれることをお勧めします。

東温泉のバス亭から500mほど西(市中心部方向)に戻ったところにある右写真の大きな門が三峰泉風景区の入口です。

門をくぐり正面の五布河手前を左折すると古仏橋という吊橋があり、その左手がチケット売り場になっています。

古仏橋を抜けて左手は温泉中心になっていますので、温泉チケットを持っている方は無料で吊橋を渡れますが、風景区のみの方はチケット売り場で入場券の購入が必要です(入場料:10元、2014年6月時点)。

尚、温泉に入りたい方は、チケット売り場の更に左側の建物の中で温泉券も販売しています。ここの温泉は率直に言って衛生的には今一つでしたが、泉質は悪くありませんでした(入湯料:48元、2014年6月時点)。

古仏橋を抜けて右手にある景区入口の門をくぐり、坂道を上ると右手に古仏洞という仏教洞窟があります(左写真)。

古仏洞はカルスト台地の石灰岩が溶けて出来た洞窟で、全長約200mと案内には書いてありましたが、実際にはそれほどの長さは無いと思います。

洞窟の中にはその名前の通り仏像が安置されていますが、見た目から判断するに、それほど古い仏像ではないものと思います。

古仏洞は山を貫いて反対側まで通じており、洞窟を抜けて左手の階段を上っていくと、清代末に作られた砦跡である書山古砦・信号台遺跡(右写真)があります。

現地にあったプレートによれば、唐代の僧がインドから経典を持ち帰り、如来仏に唐へ仏教伝来を請うた際、途中で東温泉の古仏洞に3年滞在し、読んだ経典が積み重なって古洞窟の裏山となったことから、この山を書山と呼ぶようになった、との説明がありました。

確かにこの砦の周辺の岩は書籍が積み重なったかのような形状をしています。

地質学に全く知見はありませんが、見た目は火山岩から出来る板状節理にも似ているように感じましたが、石灰岩が雨で削られて出来たようにも見えます。

書山古砦のすぐ横には休憩亭があり、そこが三峰風景区の名前の由来になっている峰の一つ、飛鷹峰の頂上です。

飛鷹峰から更に先へ進むには一旦階段を下る必要があります。

その先には金縷玉衣という場所があります。巨大な石灰岩が作り出した岩の造詣の様子が古代王が埋葬される際に纏った金縷玉衣(薄い玉片を金の撚糸で繋ぎ合わせた埋葬装束で、主に漢代の貴族以上に見られた風習。河北省満城漢墓の中山靖王が有名)に似ていることから、この名前が付けられた、と案内にはありましたが、率直に言ってこれは単なるこじつけで、私には特にそうは見えませんでした。

金縷玉衣の右手の階段を上っていくと、2つ目の峰である仙女峰(左写真)に到達します。

この階段は可也急な断崖を上っていきますので、足元には注意が必要です。

左の写真では判り難いのですが、仙女峰には東温泉と赤い字で掘り込まれています。

が、よくよく見ますと、どうも字のバランスが悪いようです(右上写真)。

中国ではこのように断崖絶壁に文字を書くことが多く、書いた人はさぞや大変であったろうと感服しますが、然し折角に書くからにはもう少し丁寧に書いて欲しかったと思います。

仙女峰からは東温泉の街が一望出来てなかなかの絶景でした(右写真、クリックすると拡大します)。

仙女峰から今度は五布河まで一気に坂道と階段で降りますと、仙女洞という小さな洞窟があります。
洞窟の中には最近造られたであろう仙女像が安置されていました。

仙女洞の先には、五布河に沿って桟道が掛けられています。

筆者が訪れた日は前日に雨が降ったようで通常より水位が高く、桟道ギリギリまで水面が迫っていました。

この桟道は仙女峰の断崖絶壁に掛けられており、ところどころ突出した岩を避けながら通らなくてはなりません。

このまま川沿いに風景区入口まで戻れれば良いのですが、何故か桟道は途中までとなっており、その先は飛仙谷という細い渓谷を階段で一気に登り、一旦金縷玉衣まで戻らなくてはなりません。

金縷玉衣からは元のルート(飛鷹峰経由)で戻ることも出来ますが、再び川方向へと向かう階段を下ると、古仏洞まで戻ることが出来ます。

以上、ゆっくり目に歩いて1時間半〜2時間程度です。

尚、三峰という名前の風景区ですので、もう一つ迷子峰という山もあるのですが、全く違う方向だった為、筆者は訪れませんでした。

<東温泉民俗裸浴場>

東温泉で最も古い温泉が、この民俗裸浴場です。
記録によれば明代に開鑿されて以来600年の歴史を有する温泉だとも言われています。

現在の中国には裸で共同浴場に入る習慣は全く無く、温泉地は水着着用ですが、この民俗裸浴場はその名の通り裸で入浴する温泉となっています。

東温泉中心街から橋を渡った左手にある看板(左写真)を川沿いに進んでいくと温泉の入口に着きます。

但し、筆者が訪れた際には温泉への道も長らく人が通った様子は無く、温泉も閉鎖されていました。
後日ネットで情報を調べたところ、衛生上の問題から現在は閉鎖されているとのことでした。

尚、温泉への入口へ向かう道の横から流れ出ていた水から湯気が立っていましたので触ってみたところ、温泉でした。

中国の温泉は日本のように実際に温水が地上に湧き出して湯気を立てている場所はあまり見かけないのですが、この東温泉は湯量も豊富なきちんとした温泉であることが実感出来ました。

<白妙寺>

白妙寺は、東泉正街(渝建路)から東温泉民俗裸浴場方向へ坂道を上り、重慶航空温泉酒店の入口を入ってから右折すると、道なりに見えてきます(航空温泉酒店に入った後は看板はありませんのでご注意ください)。

白妙寺は明朝嘉靖37年(1588年)創建の歴史ある仏教寺院です。

清乾隆10年(1745年)再建、清道光13年(1833年)、18年(1838)年に大規模な修繕が行われました。

然し乍ら残念なことに2001年12月に火災により焼失したことから、現在の建築は2010年に4年の歳月を経て再建されたものとなっています。

筆者が訪れたのは早朝でしたので、中を見ることは出来ませんでした。

<楊滄白墓>

楊滄白墓は、白妙寺から東泉正街(渝建路)を直進、上に「東温泉娯楽美食街」という古びた看板のある細い坂道を上り案内板を左折、更に左側のビルとビルの間の細い路地を抜け、東温泉文化服務中心の建物を右折すると、見えてきます(後半は看板が無く、路地裏のような道となりますので見過ごさないようにご注意ください)。

楊滄白は1881年生れ、列強の進出と清朝の腐敗に対抗する志を以って日本に留学するなど学識を高め、革命運動に参加します。

然し1913年、袁世凱との戦いに敗れて日本に亡命、その後、孫文を助けて政治活動に参加、1917年四川省選出国会議員、1918年四川省長、1921年党財政部長、1924年広東省長、1925年北京司法総長などを歴任します。

1931年に国民政府委員となり上海に転居、戦争中は重慶に戻りますが、1942年、現在の南岸区にて病没し、ここ東温泉に埋葬されました。

何故わざわざ東温泉まで運ばれて埋葬されたのかについては、調べたのですが残念乍ら判明しませんでした。

尚、洪崖洞の11階側が面している「滄白路」は、この人物の功績を称えてつけられた名前です。


【温泉】

大半のホテルには何らかの温泉が設置されているようですが、恐らく最も清潔なのは秀泉映月温泉花園酒店に設置されている温泉だと思います。

営業時間:8時〜0時
入湯料:68元(2014年6月時点。原価136元がキャンペーン価格68元となっていましたが、ずっとキャンペーン価格なのではないか、という気もします)

外部から入浴の場合はホテル入口の奥の階段を下りて川沿いを進むと温泉の入口があります(左上写真)。

ホテルの中からは温泉に直結しており、宿泊客は常時無料で入浴可能です。但しロッカールームを使用する場合はフロントにデポジットを預けてロッカーキーを借りる必要があります。

東温泉は泉質も良く、重慶の温泉地の中では長距離バス一本で来られるなど交通の利便性も悪くありませんので、温泉好きな方にはお勧めです。

(2014年6月)