×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

大仏寺・洋人街


【山城歩道】

重慶は別称山城と呼ばれる通り山が市街地になっていますが、その中を縫って走る道を歩道として整備したのが山城歩道です。

今回訪れたのは第三歩道であり、ということは第一、第二がある筈なのですが、インターネットで調べたところ第一歩道は小什字付近にあるとのことだったのですが、第二歩道は全く出てきませんでした。

引き続き調査したいと思います。


【第三歩道】

較場口から中興路を長江大橋方向に下ること500mほどで見えてくる右上写真の門が山城第三歩道の入口です。
第三歩道はここから長江を見下ろす断崖沿いに約1.7kmほど続いています。

入口にあった建設プレートには、
責任単位:渝中区建設委員会
業主単位:重慶渝建国有資産経営有限公司
等が記載されていたのみでした。

尚、筆者が訪れた時点では、長江大橋の正面付近が工事中で立ち入り出来無くなっていました。

已む無く上へ上へと進んで行きましたが、こちらも住宅街のすぐ手前で道が無くなっていた為、戻りは長江大橋へ出て、そこから公共交通機関を使いました。

歩道の中にはルート案内が無く、初めて行かれた場合はやや迷うかもしれません。
以下にはルート上にあった主な見所をご紹介します。


<厚庵>

長江沿いに階段を登っていくと右手には厚庵(中国語ではマダレに戸)という名前の建物が見えてきます。

国民政府政府が首都を重慶に移転した際、多くの官僚・軍閥・地主などが重慶に移住してきたことから、それに伴って豪奢な建物が建設されました。

そうした建物は時代を反映し、中国伝統式建築ではなく、外国近代式建築が中心であったそうです。

ここに残っている厚庵という建物は四川軍閥の長官邸宅で、左写真の通り、上海の石庫門を模した作りとなっています。

<桟道>

歩道を暫く進むと左手、崖沿いに進む桟道へと分岐します。
(足許に「第三歩道」という石版があります)

断崖絶壁の上をせり出すように作られた遊歩道です。

<仁愛堂>

桟道を少し進んだところに右写真のようなアーチ門があり、その奥にはかつてフランス仁愛堂という建築物がありました。

仁愛堂は1902年にフランス人によって建設され、1944年に陪都中医院に改名されました。
陪都中医院は現在の重慶第一中医院の前身です。

門をくぐって中に入ってみましたが、現在は建物は痕跡もなく空き地が広がっています。

更に先に進むと岩のようなコンクリートに囲まれた変電所があります。
筆者が訪れた時点では、その先は工事中で立ち入り禁止となtっていました。


(2014年7月)