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大仏寺・洋人街


【釣魚城への行き方】

釣魚城は、重慶市の北約50kmの合川区にあります。

合川区政府の方からは「重慶市中心部から新幹線(動車)で来られる」と伺ったのですが、ネットで調べたところ、合川駅に泊まる列車は非常に本数が少なかった為、私は車をチャーターしていきました。

車であれば、重慶市中心部から片道約1.5時間です。
重慶市中心部から合川区へ長距離バスで移動し、更に区内路線バスに乗り換えても行けるようですが、釣魚城は合川区中心部から更に東方向5kmの釣魚山を登った場所にあり、登り坂に弱い重慶の路線バスは可成のノロノロ運転でしたので、バスで行かれる場合は相当時間に余裕をもたれた方が良いかという感じがしました。


【釣魚城の歴史】


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釣魚城は釣魚山頂に築かれていますが、この釣魚山という地名は以下伝説から来ています。

「遠い昔、この地が洪水に襲われ、疫病が蔓延し、人々は田畑を失って、この山に逃れた。人々が疫病と飢餓で死に瀕していたところ、突然、天から巨人が山の石の上に降り立ち、そこからとても長い釣竿を使って、氾濫する川から沢山の魚を釣り上げた。巨人は神火を使って魚を焼くと、被災した人々に分け与えた。そのお陰で人々は疫病と飢餓から逃れることが出来た。人々は巨人が釣り糸を垂れた山の石を釣魚台と呼ぶようになった」

右写真がこの地名の由来となった「釣魚台」の遺跡です。


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釣魚山は嘉陵江と倍(中国語ではサンズイ)江の2つの川の合流地点にある山で、周囲から途絶した自然環境であったことから、13世紀よりこの地に城が築かれることとなります。

左写真は釣魚城壁から嘉陵江の眺めですが、川から可也の急斜面になっていることが判ります。
今では観光地として単なる景色の良い場所ですが、かつてはこの地形が守り易い好立地でした。

釣魚城を一躍有名にしたのは、モンゴル軍と南宋軍との戦いです。


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南宋末期の1243年、急速に勢力を拡大するモンゴル帝国軍がこの地に攻め入ります。僅かに残った南宋軍は、南宋滅亡(首都杭州陥落の1276年)から3年後の1279年まで、なんと36年もの長期に亘り、この釣魚城を守り抜きました。右写真は今も残る釣魚城壁ですが、川からそそり立つ山に、更に平均15mの高さで建設されていることから、これだけでも容易に陥落しなかった理由が判ります。

モンゴル帝国第4代汗(初代は有名なチンギス汗、元寇で日本に攻めてきたフビライ汗は第5代)であるモンゲは、自ら親征して南宋領内深くまで攻め入っていましたが、ここ釣魚城で1259年に負傷し、崩御することとなります(尚、死因は負傷の他、疫病、謀殺など様々な異説もあります)。


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歴史に「もし」はありませんが、もし釣魚城が突破されていたら、モンゲ汗がここで打ち破れて戦死していなかったら、モンゴル帝国は更に領土を拡大し、世界の歴史が変わったとも言われています。その意味で、この釣魚城は世界の歴史を変えた場所であり、釣魚城攻防戦は世界の歴史を変えた戦役であるとも言われています。

右写真は九口鍋と呼ばれている兵器工房です。当時、火薬を使った武器が急速に発展しており、この場所で火薬を使った武器を製造していたと言われています。モンゲ汗の負傷は釣魚城からの砲撃によるものとも言われており、だとしますと、まさにここで製造された火薬兵器が世界の歴史を変えたということになります。


【釣魚城の見所】


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釣魚城は大変に広く、見所を一周りするだけでも2時間は必要です。
また非常に道が判り難いので、中国語が堪能な方はガイドを雇われると宜しいかもしれません。

釣魚城には8つの城門がありますが、最大の見所は護国門です(左写真)。大抵の観光案内はこの門の写真を掲載しています。
護国門は釣魚城の南側に位置し、断崖に張り付くように建てられています。現存する門は明・新清代に修繕されたものですが、高さ3.15m、幅2.5mあり、門には「巴渝保障」と彫られています。


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釣魚城には他にも仏教関連の遺跡が多数残っていますが、中でも最も人目を惹くのは、右写真の懸空臥仏です。
崖際の狭い横長の隙間に唐代に彫り込まれており、全長11mあります。

懸空臥仏の近くには三聖岩があります(左下写真)。
高さ3m、幅4mの石窟の中に、阿弥陀仏、観世音、大勢至菩薩の三聖が彫られていることからこの名がつけられており、道光23年(1843年)に地元の僧侶が寄進したものだそうです。


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それ以外の見所は以下に写真をアップ致します。

石照県衛

南宋時代の役所跡です。
現在の建物は2009年に再建されたものです。
独釣中原石牌・護国寺

護国寺は唐代に創建された寺です。その後、南宋紹興25年(1155年)、元大徳2年(1298年)、明弘治7年(1494年)、清雍正5年(1727年)、清道光13年(1833年)に修繕されて現在に至っています。
飛檐洞

巨岩が重なり合って出来た洞窟です。
蝙蝠のことを檐鼠ともいい、この場所にはかつて沢山の蝙蝠が住んでいたことから、この名で呼ばれています。



【参考文献】

『中国の歴史を語る』、山口修、山川出版社、1995年。
『合川釣魚城』、重慶出版社。


(2012年6月)