大仏寺・洋人街


【慈雲寺の歩き方】

慈雲寺は長江の南岸にある南濱路沿い、朝天門の正面近くに位置する古刹です。

南濱路を走るバス停「玄壇廟」がすぐ近くにありますので、バスで行くことも出来ます。

お寺は右写真の通り南濱路のすぐ横に建っていますが、実はこの場所の南濱路は高架になっている為、直接慈雲寺に行くことは出来ません。

南濱路を南に200mほど下った場所に参道入り口がありますので、タクシーや徒歩で向かわれる際には注意が必要です。


【慈雲寺】

慈雲寺の創建は唐代と言われています。その後、一旦廃れてしまい、清朝乾隆22年(1757年)に再建されました。再建当時は「観音廟」という名称でしたが、1927年に当時の住職だった慈雲和尚が募金を募って修復を行ったことから、以降は慈雲寺と呼ばれるようになったとのことです。

写真の通り外観は近代ビル様式となっている中西結合建築で、寺院建築面積は約4000uと大きい建築物です。

正面やや左手の小さな門が入口で、そこをくぐって2階に上がると大雄宝殿(右上写真)があります。

大雄宝殿には玉仏が安置されていますが、この玉仏は1931年にミャンマーから来たもので、高さ1.87m、重さ1.5tと非常に立派な玉仏であることから、中国4大玉仏とも言われているそうです(但し中国にはこの手の「中国○大××」的な言い回しは非常に多いので真偽は不明)。

大雄宝殿の両脇から裏山へと登る階段があり、山頂には、鐘楼の他、多くのお廟が配置されています。

山頂からはちょうど長江と嘉陵江の交わる場所を見下ろすことが出来、筆者が訪れた日は元旦だったこともあり三峡下りの船もお休みのようで、三峡下り豪華客船が目の前に停泊していました。

尚、寺院の山肌には多くの石刻が刻まれていたそうですが、残念乍ら文革で大半が破壊されてしまい、現存しているものはレプリカとのことです。


【(おまけ)千仏寺】


慈雲寺から更に南濱路を北へ1kmほど進んだところに、もう一つ、千仏寺というお寺があります。

こちらも外観は慈雲寺同様に普通のビルのようになっています。

千仏寺は明朝嘉靖年間の創建で、当初は大乗寺という名称でしたが、清朝時代に興隆寺に改名、更に1935年に現在の千仏寺に改名されました。

戦争中には避難所となったり、文革時には工場となったりという苦難の歴史を経て、1988年に元の仏教寺院の姿を取り戻し、対外開放されています。

説明書によれば寺院建築面積約5600uとなっていますが、実際に参拝客が入れるのは1階の入口から階段を上って二階の大雄宝殿までです。

入口には特に人はいなかったのでそのまま入ったのですが、二階に上がったところで係員に「入場券は買ったか」と呼び止められました。

どうも様子を見ていると、純粋に信者として参拝しているのではなさそうな人は、入場料を払わないとならないようです(5元、2014年時点)。

ただ係員も常に居る様子ではなかったので、ケースバイケースなのかもしれません。

尚、千仏寺の目の前はちょうど長江と嘉陵江が交わる場所ですが、ここは「峡江開埠」という名前の簡単な風景区となっています。

風景区の案内板によれば、アヘン戦争後、英国と清朝政府は1890年に「煙台条約継増専条」を調印、英国は重慶開港の特権を得、当時の税関も南濱路周辺に設置され、1901年には日本がこの周辺に租界を開いたとのことです。

ここから見る重慶中心部はちょうど長江と嘉陵江の間に浮かび上がる島のように見え、筆者が訪れた日は霧が濃かったこともあり、霧の街、重慶のイメージ通りの風景でした(左上写真はクリックすると拡大します)。


(2014年1月)