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大仏寺・洋人街


【磁器口の歩き方】

磁器口は重慶市中心部西にある沙坪バ(土ヘンに貝)区に位置する、重慶で最も有名な古鎮です。

複数のバスが磁器口を通りますのでバスでも行けますが、2013年に地下鉄1号線が延長され、磁器口駅が出来ましたので、現在では地下鉄で行くのが最も簡単だと思います。

磁器口駅から看板に従って外へ出て5分程歩くと、磁器口のゲートが見えてきます(右上写真)。

そのまま真っ直ぐ更に5分程進むと正門なのですが、地下鉄で来られた場合は裏門からのルートがお薦めです。

裏門は、右上の門を抜けて1分程歩いた左手にあります(左写真)。

ここから入りますと、暫くは殆ど観光地化されていない、昔ながらの建物が多数残る細い路地を歩くことが出来ます。

既に幾つか取り壊し予定の看板も出ていましたので、何れは無くなってしまう可能性が高い場所だと思います。

この細い路地も、実は磁器口正街なので、そのまま真っ直ぐ進みますと、正門から入った正面の道に繋がっています。

筆者がお勧めのルートは道写真(クリックすると拡大します)の通りです。


【磁器口の地名の由来】

磁器口の地名は、その名の通り、磁器に由来しています。

かつてこのエリアでは磁器製造が大変盛んであり、清代には年産75万個とも言われ、この場所から長江を使って中国全土に運送されていました。
「口」というのは、港の意味で、つまり磁器を運び出す港、という意味で、磁器口という地名となりました。

尚、川に囲まれた重慶は、同様に港を表す「口」を使う地名として、「両路口」や「較場口」といった地名も今日に残っています。

その後、国民党臨時政府が重慶に移ってきたことで磁器口が大きな繁栄を迎えた時期もありましたが、徐々に磁器生産も行われなくなったこと、陸上交通の発展により港としての役割も消滅していったことから寒村と化し、それが幸いしてかつて栄えた頃の街並がそのまま保存され、今日に姿を残すことになります。

1998年に重慶士の重要文化財に指定され、小重慶との名称を与えられています(右上写真は嘉陵江門近くに設置されている小重慶の石碑)。


【磁器口の見所】

それほど広くない古鎮ですので、隅から隅まで歩いても1時間程度ですが、その中から幾つか見所をピックアップしてみました。

<鐘家院>

清朝末期の宮廷内務府に勤めていた鐘雲亭(1860年生)が建設した家屋であり、約600uの建物が現存しています。

北京の四合院のような造りとなっており、中庭を挟んで四角に部屋が配置されていました。

<金(中国語は金を3つ)記雑貨店>

正面ゲートをまっすぐ進み、磁器口正街を左折すると、階段の手前にあるのが、金記雑貨店です。

このお店は、中国共産党黎明期を描いた名作『紅岩』において、主人公「華子良」のモデルとなった韓子棟という人物が、実際にここを拠点として黎明期の連絡活動を行っていたとのことです。

現在では主にお酒が販売されています。

<宝輪寺>

西魏文帝の頃(535年〜556年)に建立されたと伝わる由緒あるお寺です。

磁器口を見下ろす崖の上に建立されており、参拝するには右写真の入口から急な階段を上っていく必要があります。

千手観音堂の裏に回りますと、嘉陵江が見下ろすことが出来る場所があります(左写真、クリックすると拡大します)。


【大増水期の磁器口】


毎年晩春〜初夏にかけて、梅雨に加えて長江・嘉陵江上流の雪解け水が流れ込むことから、重慶周辺は洪水のリスクに晒されます。

ここ磁器口は川幅と地形の為か、比較的洪水の被害を受けやすい場所となっており、2012年7月の大増水の際には、嘉陵江沿いの門の下部まで水没しました。

流石に最も水位が高い時期は危険を感じたので行きませんでしたが、1日置いて水位がやや下がったところで訪問したところ、左写真の通り、まだまだ低い場所の道路は完全に水没している状態でした。

然しこれでも最高水位からは可也の水が引いたようで、低層階は商店街の方々が必死に泥掻きをしていました(右写真)。

またゲートとほぼ同じ高さにある建物には地面から1m程の所にくっきりと増水の後がついていました。

通常は嘉陵江沿いに多くの出店やレストランのテーブルが並んでいるのですが、大増水に備えて全て高い場所に運びあがられており、磁器口の商店街はさながら避難所のような様相でした(右下写真)。










(2014年1月)