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大仏寺・洋人街


【白帝城】

白帝城は湖北省との省境に近い重慶市奉節県の長江北岸にあり、三峡下り最大の見所の一つです。

後漢の時代、公孫述という人物がこの地に城を築きましたが、ある日、城内から白い気が白龍のように天に昇る様子を見たことから自らを白帝と称し、その後、この城は白帝城と呼ばれるようになりました。

この白帝城を一躍有名にしているのが三国志のエピソードです。

三国志中心人物の一人、蜀の劉備玄徳が夷陵の戦いで呉に敗れてこの白帝城に逃れ、後事を諸葛亮に託した後、この城で亡くなります。

白帝城は、当初は創設者である公孫述を祀る白帝廟となっていましたが、この三国志のエピソードが有名になったことから、明嘉靖12年(1533年)に劉備玄徳・諸葛孔明を祀る廟へと変更されることになります。

(物語である『三国志演義』が今日の形で成立したのは元末〜明初頃と言われています)

左写真は、白帝廟横にある天文台で、諸葛孔明はここで天文観測をしていたと言われています。

白帝城を有名にしているもう一つの代表が、李白の「早発白帝城(早(つと)に白帝城を発す)」の詩です。

<原文(読み下し分)>
朝辞白帝彩雲間 (朝(あした)に辞す白帝彩雲の間)
千里江陵一日還 (千里の江陵一日(いちじつ)にして還る)
両岸猿声啼不住 (両岸の猿声啼いて住(や)まざるに)
軽舟已過万重山 (軽舟已に直ぐ万重の山)

<概略訳>
早朝に、朝焼けの雲の中に佇む白帝城に別れを告げ、
千里先の江陵まで一日で戻る。
両岸の猿の声が間断なく鳴き続き、
小舟は幾重にも重なる山を通り過ぎた。

雄大な風景を豊かに描き出した、中国を代表する詩の一つだと思います。
然し残念乍ら三峡ダムの建設によって水位が大幅に上がってしまった為、今日の白帝城は李白の詩が謡われた時代とは様相が一変しています。

当時、白帝城は長江沿いの小高い山の上に建っていましたが、今では周囲は完全に水没し、大幅に増水した長江に浮かぶ中島となっています。

そのため右上写真の通り、現在、白帝城に行くには最近架けられたコンクリート製の橋を渡る必要があり、李白の詩の情緒を感じることは、残念乍ら殆ど出来ません。


【おまけ】

白帝廟へと向かう途中の山腹から、三峡下りの見所の一つ、風箱峡を眺めることが出来ます。





この景色、どこかで見たことがありませんか?

そう、10元札の裏側です。
中国のお札は裏面に各地の有名な景勝地がデザインされていますが、10元札の裏は三峡下りのメインスポット、ここ風箱峡が描かれています。

因みに10元以外のデザインは以下の通りです。

100元:<北京>人民大会堂
50元:<チベット自治区>ポタラ宮
20元:<広西チワン族自治区>桂林
5元:<山東省>泰山
1元:<浙江省>西湖




(2013年10月)